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1 はじめに
こんにちは。ボストン近郊Brookline在住の きょうす です。 2021年10月に出向元の日本企業を退職し、出向先企業にそのまま転職しました。シニアなエンジニアの中で、アメリカで働くことを夢見ていらっしゃる方もいると思うので、参考までに記録として残しておきます。
2 経緯
2.1 2度目のアメリカ駐在へ
アメリカ駐在は2度目でした。最初の駐在から帰任して以来、私の持つスキルセットや経験と、会社で需要のあるスキルに差があると感じていました。海外事業が苦戦していて、海外志向の経歴を持つ人員が供給過多になっていたのだと思います。
数年間、それまでの海外対応ではなく、国内開発の先行検討チームに所属していました。再びアメリカの開発チームに出向者を出す話が出た時に希望を出し、少し親しくしていただいている幹部の後押しがあって、運良く2度目の駐在に選ばれました。
2.2 ポートフォリオの拡充
2020年初めに出向が始まったとたんに、Covid騒動が始まりました。オフィスは立入禁止となり、全てリモートでの業務となりました。私はPO (Product Owner)の役割についていますが、POは開発フェーズが進んで機能仕様が固まってくると時間に余裕が出てきます。
そこで、20年弱振りにプログラミングを再開することを決め、Pythonの勉強を始めました。日本の会社ではステップアップすると半自動的にマネージャーとなり、技術から遠のいて行きますが、日本以外ではマネージャーにならずにエンジニアのままステップアップするパスもあります。エンジニアとしての最大の武器は技術力です。
私はこれまでの反省から、自分のスキルセットを第三者から見える形で提示する必要性を感じていました。社内でまじめに働いていたら、誰かが目を留めてくれてチャンスが降ってくる、ようなことは年齢とともに減っていきます。万一リストラで職を失っても、すぐに転職先が見つかるように、自分のスキルと経験のポートフォリオをメンテナンスしなくてはいけません。
効率の良い勉強方法を調べ、実行に移しました。作ったプロジェクトはgithubで(英語で)公開し、自分のポートフォリオの一部となるように心がけました。
中上級向けのPython書籍3冊を未消化気味にせよ読み終えた後で、これまた必要性を感じていたSQLについても勉強しました。SQLはJOINが使え、インデックス作成ができるくらいまでやりました(つまり、初級プラスアルファくらいです)。
2.3 出向先からの打診
元々、私の駐在のミッションは、来たるべき共同開発に備えて現地開発チームに入り込んでおく、というものでした。しかし、共同開発の話は一向に浮上してきません。このまま現地開発チームに入り込んだだけで駐在期間が終わってしまうことが恐怖でした。
現地上長との1-on-1ミーティングで、「日本に帰ったら、将来不景気になった時にリストラに遭うのが怖いんだよね」とぼやいたところ、「それならば、アメリカで転職活動すればよい」と言われました。「(私の名前)のスキルと経験が有れば、アメリカで普通にオファーが来ると思うよ」と。日本に帰ったら、観念して定年まで勤め上げる気でいた私には目からウロコなアドバイスでした。
2,3週間後の1-on-1で現地上長が「アメリカで転職考えるなら、うちの会社を候補の一つにしない?」と言ってくれました。出向先での仕事は気に入っていたので、二つ返事でYes(ただし、条件が悪くないなら)と答えました。
2.4 ビザの壁
しかし、話が本格的に進展しようとしたところで、ビザがネックであることがわかりました。エンジニアはH-1Bビザを取ることが多いのですが、このビザは毎年3月に抽選があるのです。その時点で既に5月で今年の抽選は終了しており、帰任予定は同じ年の12月でした。来年の抽選には間に合わず、時既に遅し。アメリカ企業への転職は、実は最初から無理だったことがわかりました。
ちなみにH-1Bビザの抽選は当選確率が3割くらいだそうです。どんなに優秀なエンジニアでも7割弱が足切りになります。アメリカの職場でも、比較的優秀な新卒採用のエンジニアが、ビザが取れずに母国に帰っていくのを何度か目にしました。
ところが、よくよく調べてもらったところ、出向先である関連会社にだけは、現在持っているL-1Aビザで転職可能なことがわかりました。私のビザは、出向元の日本の会社と、出向先であるアメリカの関連会社の双方名義で申請されているためです。
2.5 正式オファー
次のステップとして、出向元の職場および総務への事前の打診を行いました。転職後も日本との仕事の関係は続くため、現地上長も私も、日本側となるべくいい関係のまま転職したいと考えたためです。出向元の日本の上長は、私の判断を尊重すると言ってくれました。日本側総務の駐在担当者は、最初はネガティブな反応でしたが、しばらくして態度が軟化しました。
日本の会社に仁義を切ったところで、ようやく出向先のアメリカ企業から正式なオファーレターが出ました。オファーレターには、年俸がいくらであること、72時間以内に返答必要なこと、1ヶ月後が初出勤であること、が明記してありました。金曜日にオファーが出て、月曜に回答しないといけません。
その日の夜に家族と話し合い、転職の話を受けることに決めました。
2.6 バックグラウンドチェック
オファーを受けたからと言って、まだ入社が確定した訳ではありません。オファーを受け入れてから、転職先の会社から委託された調査会社が私のバックグラウンドチェックを始めます。調査会社は、転職前の会社過去7年分の在籍、最終学歴、パスポートやビザのステータス等を確認してレポートを作成します。
必要なエビデンスは全てUrgentな返信不可emailにて提出を要求されました。メールにはエビデンスをアップロードするためのリンクだけがあり、不明点があったとしても質問することさえできません。一方的です。私の場合は、日本の会社からエビデンスを取り寄せたり、調査会社からの連絡先を確認したりするのですが、時差があるために即時で対応できませんでした。不安になります。
調査会社は日本の会社に電話し、補足エビデンスとして給与明細(pay stub)のアップロードを私に要求しました。給与明細は日本語なため読めないだろうと思っていたら、再度アップロードを要求されたので同じものをアップロードしました。なにかあったら言ってくるだろう、と思いましたが、かなり不安です。
再アップロードの翌日、調査結果レポートが送られてきました。日本の会社の在籍確認ができないために判断不能、という結論でした。これにはあわてました。今更内定を取り消されても困ります。日本の本社からアメリカのグループ会社への転職が、本社への在籍が確認できないために不可となるようなことがあるでしょうか。
数時間後、転職先会社のHR (Human Resources)からメールが来ました。バックグラウンドチェックは無事クリアしたという内容でした。当たり前の結果で胸をなでおろしました。胃が痛くなるような数時間でした。
3 お金について
3.1 自分の市場価値
オファーレターを見るまで、いったいいくらが私の適正な年俸であるのか、全く見当が付きませんでした。日本でもらっていた給与は、おそらく私の市場価値よりも高くなっていたでしょう。indeed等で給与の相場を見てはいたのですが、大きな幅がありました。POの相場下限は$60Kでしたが、これでは、アメリカでもサンフランシスコ、ニューヨークに次いで物価の高いボストンでは、家族で暮らしていけない気がします。
また、現地採用の給料は非常に低いという情報がネットには多く載っていたのと、総務からも日本にいた時より給料は下がると言われていたため、多くは期待できないと覚悟していました。一方では、給料は下がっても、やり甲斐のある仕事がしたいです。他方で、家族がいる身では、夢ばかり追ってはいられません。
実際にオファーレターに書かれていた年俸は、想像よりも良かったです。おそらく、現地上長および現地上位上長が盛ってくれたのだと思います。50代半ばになって、条件の良い転職ができるとは思わなかったため、とてもありがたかったです。
3.2 駐在中の給与との比較
日本にいた時よりは良い年俸(ボストン物価未換算)を提示いただきましたが、駐在中の多くの手当が付いた給与と較べるとさすがに下がります。これまでいくらもらっていたのか計算したことも無かったのですが、改めて計算してみると、駐在員がいかに恵まれているのかがよくわかりました。
家賃の高いボストンのアパートを全て出してもらえることが非常に大きいです。これだけで400万円オーバー。その他、ガソリン代含む車手当、子供の教育補助などの手当がもりだくさんです。更に、日本側のボーナスが丸々出ることも大きいです。
これまで、日本人の感覚では広すぎる、そしてその分家賃の高いアパートに住んでいたのですが、新たな給料ではここに住み続ける訳にはいきません。月の家賃を数百ドル下げるために、より安いアパートに引っ越すことにしました。それでも駐在中の給与には遠く及びませんが。
4 転職して1ヶ月
転職して1ヶ月以上が経ちました。転職前後は、転職に伴う公私の事務手続きや引っ越しで目の回るような忙しさでしたが、だいぶ落ち着きました。仕事自体はこれまでと変わらず、仕事面での不安は今の所ありません。
年金や保険の制度は日本とだいぶ異なり、自己責任の範囲が広く、個人の負担が大きいように思います。例えば日本の保険は最初から3割負担ですが、私の転職先の会社では、最初は患者の10割負担スタートで、数十万円負担するとようやく保険が何割か負担してくれるようになり、負担が百数十万を超えたらそれ以降を全額保険が負担、というようになっています。
そして何故か、歯科と眼科(メガネ作成含む)は保険が別です。既得権益か何かでこうなっているのでしょうか。。。
駐在員というステータスにより、これまで会社が特に金銭面で過保護なくらい守ってくれていたのが、ようやく一般的なアメリカ人と同じ環境に立ったことを実感しています。
その他、事務手続きでのミスの多さに改めて辟易しています。保険証が送られてこない、住所変更が反映されない、転職後1ヶ月経っても給料が支払われない、etc。アメリカでのこういったミスにはだいぶ慣れた気になっていましたが、大きなミスが立て続けに続いて、その度にこちらがアクションを起こさなければいけないので、結構ストレスがたまっています。まあ、またそのうち慣れてしまうのだと思いますが。
あと、日本に住んでいる双方の両親には申し訳ないと思っています。以前は年に3〜5回くらい孫の顔を見せに実家に里帰りしたり、自宅に来てもらっていたのが、今後は年に1回帰れるかどうかになりそうです。夏には長い休みを取って、一時帰国したいと考えています。
5 今後の見通し
日本にいたら、このまま60歳の定年まで勤務して、その後は低い給与で更に数年働くことが、途中で運悪くリストラされない場合の想定コースでした。子供が大学を卒業するまでは働くしかありません。
転職によって、この見通しがリセットされてしまいました。良い点は、やり甲斐や年俸が上がったことと、60歳定年が無くなったために運が良ければ好条件で働き続けられることです。不安要素は、ボストンでどの程度の生活レベルを維持できるのかまだわからないことや、途中でリストラされるリスク、年金を含めた生涯賃金への影響です。
今の所、アメリカに永住する気はなく、退職したら日本に帰るつもりです。